Book4.2 OÜ

本を売らない本屋

物々交換なんて本当に実在したのか?

ハロージニョンです。

本を売らない本屋、つまり「情報・知識に値段をつけない本屋」を目指してます。

 

なぜそもそもお金を介在させない本屋を提供したいのかについて

今日は少し経済学的な話を交えながら綴っていきたいと思います。

(経済学というより歴史になるかも知れないです。)

 

よく昔は人々は物々交換をしていて、ある時誰かがお金を発明してそこから貨幣経済がスタートしたという説明を聞きます。

でもこれって本当なんでしょうか?

 

まず原始的なコミュニティを考えると全ての資産はその共同体の所有物と考える傾向にあります。

 

「みんなで狩りをするから、獲った肉はみんなで分けるものだ」

「みんなで共同で水を採取する場所を発見・運営しているから、枯渇しないように注意しながらもみんなで分けて飲むべきだ」

といった感じにです。

 

家族間ではお金の概念や互恵の概念がなくとも「家族だから助け合う」といった感じで物資を分配することができるはずなんですよね。

 

赤ちゃんからお金とりますか?

大人になった赤ちゃんからお金とりますか?

お金とるために赤ちゃん育てますか?

 

Noですよね。

 

お金が必要になるのは相手のことを知らない時です。

つまり1つの共同体ではお金はなくとも問題なく生活を維持できますが、2つ以上の共同体が近隣に存在する場合は話が変わってきます。

 

2つ選択肢がありますね。

 

1つ目は襲って奪うという方法で物資を交換(奪取)する。

一応これも体力を物資と無理やり交換するという意味で交換になるかと思います。

 

2つ目は自分の特産物や相手に足りないものを提示して交換するという方法になると思います。

こちらは言語が通じない相手、武装している可能性を排除できない相手、信じられない相手には通用しません。

 

そして旧石器時代、石器時代に都合よくコミュニケーションが取れて相手が襲ってくることがないと確信が持てて自分の共同体で必要なものを持ってる相手がいるなんてことはほぼないと思います。

 

そもそも物の交換には高度な知能を必要とします。

所有するという概念を理解しないとダメなので認知能力が他の動物と比べて格段に高い人間くらいしか交換を実現できません。

 

生きるのに必死な時代にそんな信用もできない相手と取引なんてしますか?

私ならしません。

途中で襲われる可能性を排除できないからです。

 

 

じゃあいつ貨幣が生まれたのかという話になるんですが

私の考えでは、トークン経済の発祥地、メソポタミア文明で生まれたんじゃないかと。

 

物資、主に穀物の保管・管理などに利用されていたトークン(数を表す粘土でできた塊)がいつのまにかその穀物と交換できるようになっていたおかげで穀物そのものではなくてトークンだけを交換する。

あるいは、穀物のトークンだけど、別のものと交換する時に使い始めるってことが起きたんだと思います。

 

おそらくこれは簡単に偽造できるものなので官僚的な人たちの間でしか利用されなかったと思いますけどね。

 

そこでそのトークンを簡単にコピーされないようなもので代替しよう!

あ、タカラガイってレアじゃね?

コピーできないじゃん!これでトークン経済作ればいいじゃん。

 

てな感じだったのではないかと。

 

メソポタミア文明の官僚以外の一般人はおそらくリーダー的な存在から物資を与えられるだけの存在だったのではないかと思います。

 

みんなで穀物を作り、自分の分は確保しつつもあとは全て共同体に納める。

そうすれば自分が困った時に共同体から給付されるし、一致団結して外部の敵と戦う時にも備えになるから奪われる、襲われるというリスクを軽減できる。

 

そう考えれば全て辻褄が合うんですよね。

 

 

 

そして現代に戻ってきますが

現代って先進国に限っては誰かに襲われることも少ないですし

セーフティネットや最低限の生活の保証はされますし

ホームレスになったとしても最悪死なないですし

 

もっと相手を信用してもいいと思うんですよね。

 

知識を保管し分配する役割をBook4.2が補うので

みんなが知識を共有し、取得できる場所でありたいなと思います。