Book4.2 OÜ

本を売らない本屋

文字を読めば読むほど親近感がわく

ハロージニョンです。

 

今日おもむろに自分のツイッターで友達を助けるプロジェクトを開始するとか宣言して

 

誰でも依頼さえくれればできる範囲で全力でヘルプするという、しかもお金も請求しないという実験を開始しました。

 

初見の人に説明すると割と意味不明な人なんだなという反応されます。

 

 

はい、早速本題なんですが

最近の人って結構な勢いで「寂しい」と言ってると思うんですよね。

 

寂しいからスマホでいつも誰かと繋がりたい。

誰かと一緒にいる時でも他のより近い友達と繋がっていたい。

 

結構な頻度でこんな風に感じる世の中だと思うんですよね。

実際私もそうですから。

 

そしてその寂しいと思った瞬間に私自身が何をしてるか今日おもむろに気づいたんですよね。

 

文字読んでました。

 

 

ニュースとか本という手段もあるんですが、それよりも圧倒的にツイッター見てました。

 

ツイッターって不思議と寂しくないんですよね。

誰が何を発言したかすぐにわかるので

 

 

例えばホリエモンが「ビットコイン今は買わない方がいいよ」って言ったとしたら

自分に話しかけてもらえる気がするんですよ。

 

ええ、決してそうじゃないということは重々承知してますが。

 

ホリエモンの文字を読めば読むほど、ホリエモンが友達になったような感覚になるんですよね。

もう寂しくないんですよ。

 

 

ふと気づくとぼっちなんですけどね。

 

 

 

「文字を読めば読むほど、親近感がわき情報(本)の提供者と親密になったような錯覚に陥る」は割と高い確率で真理なんじゃないかなと思うんですよね。

 

そこに相互の関係にできる仕組みも携えてBook4.2に取り入れます。絶対。

物々交換なんて本当に実在したのか?

ハロージニョンです。

本を売らない本屋、つまり「情報・知識に値段をつけない本屋」を目指してます。

 

なぜそもそもお金を介在させない本屋を提供したいのかについて

今日は少し経済学的な話を交えながら綴っていきたいと思います。

(経済学というより歴史になるかも知れないです。)

 

よく昔は人々は物々交換をしていて、ある時誰かがお金を発明してそこから貨幣経済がスタートしたという説明を聞きます。

でもこれって本当なんでしょうか?

 

まず原始的なコミュニティを考えると全ての資産はその共同体の所有物と考える傾向にあります。

 

「みんなで狩りをするから、獲った肉はみんなで分けるものだ」

「みんなで共同で水を採取する場所を発見・運営しているから、枯渇しないように注意しながらもみんなで分けて飲むべきだ」

といった感じにです。

 

家族間ではお金の概念や互恵の概念がなくとも「家族だから助け合う」といった感じで物資を分配することができるはずなんですよね。

 

赤ちゃんからお金とりますか?

大人になった赤ちゃんからお金とりますか?

お金とるために赤ちゃん育てますか?

 

Noですよね。

 

お金が必要になるのは相手のことを知らない時です。

つまり1つの共同体ではお金はなくとも問題なく生活を維持できますが、2つ以上の共同体が近隣に存在する場合は話が変わってきます。

 

2つ選択肢がありますね。

 

1つ目は襲って奪うという方法で物資を交換(奪取)する。

一応これも体力を物資と無理やり交換するという意味で交換になるかと思います。

 

2つ目は自分の特産物や相手に足りないものを提示して交換するという方法になると思います。

こちらは言語が通じない相手、武装している可能性を排除できない相手、信じられない相手には通用しません。

 

そして旧石器時代、石器時代に都合よくコミュニケーションが取れて相手が襲ってくることがないと確信が持てて自分の共同体で必要なものを持ってる相手がいるなんてことはほぼないと思います。

 

そもそも物の交換には高度な知能を必要とします。

所有するという概念を理解しないとダメなので認知能力が他の動物と比べて格段に高い人間くらいしか交換を実現できません。

 

生きるのに必死な時代にそんな信用もできない相手と取引なんてしますか?

私ならしません。

途中で襲われる可能性を排除できないからです。

 

 

じゃあいつ貨幣が生まれたのかという話になるんですが

私の考えでは、トークン経済の発祥地、メソポタミア文明で生まれたんじゃないかと。

 

物資、主に穀物の保管・管理などに利用されていたトークン(数を表す粘土でできた塊)がいつのまにかその穀物と交換できるようになっていたおかげで穀物そのものではなくてトークンだけを交換する。

あるいは、穀物のトークンだけど、別のものと交換する時に使い始めるってことが起きたんだと思います。

 

おそらくこれは簡単に偽造できるものなので官僚的な人たちの間でしか利用されなかったと思いますけどね。

 

そこでそのトークンを簡単にコピーされないようなもので代替しよう!

あ、タカラガイってレアじゃね?

コピーできないじゃん!これでトークン経済作ればいいじゃん。

 

てな感じだったのではないかと。

 

メソポタミア文明の官僚以外の一般人はおそらくリーダー的な存在から物資を与えられるだけの存在だったのではないかと思います。

 

みんなで穀物を作り、自分の分は確保しつつもあとは全て共同体に納める。

そうすれば自分が困った時に共同体から給付されるし、一致団結して外部の敵と戦う時にも備えになるから奪われる、襲われるというリスクを軽減できる。

 

そう考えれば全て辻褄が合うんですよね。

 

 

 

そして現代に戻ってきますが

現代って先進国に限っては誰かに襲われることも少ないですし

セーフティネットや最低限の生活の保証はされますし

ホームレスになったとしても最悪死なないですし

 

もっと相手を信用してもいいと思うんですよね。

 

知識を保管し分配する役割をBook4.2が補うので

みんなが知識を共有し、取得できる場所でありたいなと思います。

 

本を売りたくない理由

ハロー!ジニョンです。

「本を売らない本屋」を目指して頑張っています。

 

本を売らない本屋ってNPO?読者しか得しないんじゃないの?

え?それ本屋?図書館じゃない?

とか色々思われると思います。

 

今日はそこを少し紐解きたいと思います。

 

私は「情報は共有した方が万人にとって恩恵がある」と信じきっています。

一部の人にしか共有されない情報なんてその一部にとっては利益があるかも知れませんが、人類全体にとっては有益だとは思えないんですよね。

 

孫子兵法、君主論、新約聖書、医学書などなど

その情報を構成してる言語さえ理解していればみんなが手に入る情報なんですよね。

 

実際にその情報の取得に幾らかの書籍代がかかると思うんですが

ネットでフリーで公開してしまえば、実質情報の取得代ってほぼ無料になるじゃないですか。

 

なんで未だにお金払うんですかね、謎。

 

医学書なんて顕著なんですが、先人の発見がなければ、あるいは先人の見つけた情報へのアクセスが限られていれば、後世の発展に繋がらないですよね。

 

私はそれは非常に勿体無いことだと思うんです。

車輪の再発明を延々と繰り返している状態に見えるんです。

 

なので、私は情報は全てオープンソースにして人類への貢献度合いを評価できるようにしたいんです。

 

情報を売り物にするのではなく、情報を提供すればするほど影響力があることを可視化したいと思っているんです。

 

まだまだ、どうすれば「本を売らない本屋」を実現できるか毎日考えている状況ですが、少しずつでも前進したいと思います。

エストニア法人設立しました。

ハロー!ジニョンです。

// 幼い時に日本に移住した外国人です。

// 今は日本には住んでないんですが、母語は日本語です。

 

自己紹介もまともにせずにあれなんですが

エストニア法人つくっちゃいました。

 

まずなんでエストニア?

そして次に何の会社?って質問が飛んでくると思うんですが

 

エストニアでつくった方が色々とメリットがあってかつカッコいいから!

そして理念は「本を売らない本屋を作りたい」と

 

まあまあ意味わかんないこと言ってます。

 

もう全て実験してるような感覚で本のサービスつくっていきたいなと思ってますが

そもそもエストニアに興味がある方がいたらぜひお仲間になりたいので

 

お声がけしてくださればとても嬉しいです。

情報交換でもいたしましょう!

 

エストニアの電子居住カードの申請方法やエストニア法人設立の方法なども

まとめていけたらいいなと思ってます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。